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『今週イエスと共に』

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2014/5/5 (Mon) 詩篇118:24.茅舎
嵐と雨あとに爽やかな春の青空がひろがる、その下には一時咲き誇った桜が花の残像をひろげる。名残惜しそうに見上げる者の後ろ姿はなんとなく寂しげである。一人で見上げるだけがその寂しい理由ではない。咲き誇った華やかさから枝葉が目立ってきた姿が寂しげに広がっているからであろう。それでもそれぞれの章を精一杯生きるのは輝く。
2014/5/13 (Tue) マタイ6:28 茅舎
東北に出かける機会があり、春爛漫の街道を北に向かう。赤みがかった新緑、鮮やかな薄緑、そしてまだ褐色の色を残す森や山と北に向かうほど春の足音は重くなる。それでも、桜だけは満開で迎えてくれた。住宅街の裏山にゆくとかたくりの花が一面に咲いていた。堅く踏みしめられた道沿いにけなげに咲き、愛でる者の心を爽やかにする。
2014/4/29 (Tue) マタイ5:8 茅舎
春の嵐は暖かな季節への扉となる。土煙があがり、木立の新芽がちぎれそうに揺れる。季節を呼ぶ風がはるか東北になると地吹雪となり人々の行く手に立ちはだかる。春到来前の厳しい風雪である。暖気を期待している人々には、さらに一ふんばりの時だ。白一色のカーテンの向こうに、やがて鮮やかな色彩、心洗う新緑が見えるときが来る。
2014/4/24 (Thu) イザヤ43:19 茅舎
春の嵐と雨にさそわれて桜はあっと言う間に開花した。あっと言う間に散る前にあたりの緑が輝く前にピンクの色がいろどる。新しい門出を祝う花々は一歩を新たに踏み出す者たちへの祝福と励ましである。前途悠々たる将来にそえる花道である。この美しい季節からの旅立ちに相応しい道となるよう願う。確かなみことばをたえず聴きながら。
2014/4/16 (Wed) ガラテア5:22、23 茅舎
初めて礼拝に参加してくださった人たちの印象を聞くことは興味津々である。初めての風景はどのようにうつったのかな、と聞いてみたいのである。外から見てどうなのかな、と言うことだ。いくつかあげよう、忘れないために。楽しそう、勢いがある、慰めのコイノニア、どれもこれもキリストの霊が満ちあふれる風景である。喜ぼう。
2014/4/8 (Tue) マタイ3:2 茅舎
商店街や通りに様々な音楽が流されている。他に気をとられていると音に気づかずに通り抜けてしまう。何かこころに残っている音が聞こえると気持ちがそちらに向く。そうすると今まで届いていないメロディーが心地よい響きとなり、拡がる。向くこころが見るこころとなる。いつも流れている福音の響きを通り過ごすことがないように。
2014/4/1 (Tue) ルカ10:42. 茅舎
東北の大震災直後に撮られた様々な写真が忘れられない。その中での一枚を思い起こす。トラックのそばで一人の男性が写っていた。周辺は瓦礫だらけであった。その男性に笑みがこぼれているのではないか。全てを失っている中での笑みである。写真撮影した者も同体験をしているが、その笑みを写した。災害にあった者どうし、すべてを失った体験者どうし、いのちが残った笑みを写した。
2014/3/24 (Mon) 1コリント12:26、27.茅舎
線路沿いを歩くと電車の往来の音がかなり響く。時には会話が不可能になる程響く。それが、通り一つ離れると音の響きが遠のく。ほとんど気にならないほどになる。近くでも二重ガラス窓だと音が遮断される。生活環境としては必要な処置だ。ところが心の響き合いはどうだろうか。互いの間を遮断することも、遠のくことも好ましくない。心は近くに。
2014/3/19 (Wed) 1コリント15:10. 茅舎
今朝の空は厳しくも不思議だ。白雲が層になり南の空をふさいでいる。北には薄い青空が広がってゆく。クッキリ分かれているわけではなく白雲から青へ徐徐に変わる。その不思議な空間を横切るように飛行機がゆく、雲の層ではハッキリと機影が見える。淡い青空へ移ると機影が消えた。何かがあるところではあるものが見え、何もないところではあるものまで消える。不思議だ。
2014/3/10 (Mon) ロマ10:15.茅舎
うしろからパタパタと音をたてながら近づく人が居る。やがてその人がパタパタと音を出しながら通り抜けて行く。通り抜ける人の後姿から高校二、三年生であることがわかる。学生服が合っていて、マフラーの色も今風でなかなかかっこうが良い。ただ、あの足音が気になる。足もとを見ると、靴をスリッパにしている。残念なかっこよさである。
2014/3/3 (Mon) マタイ1:23.茅舎
子犬が二匹つながれ飼い主と散歩している。それぞれが勝手な方向に歩いていないのは飼い主の綱さばきの良さのせいか、それにしても賢く従順な子犬と映る。そして良く見ると飼い主は杖を使いながら歩行している。その事も子犬は調子を合わせて歩いている。紐から伝わる何かで歩みを調整しているかも。冬空の下、ほのぼのとした絵となる。
2014/2/25 (Tue) 使徒行伝14:22茅舎
冬将軍が東北の地では激しく動く。雪雲が地域をおおい、雪が家屋を押し潰す報道もある。その空の下、皆耐えながら日々の生活に明け暮れる。玄関先の雪を除くのは朝ごとの業。雪は待ったなしで降り続く。それにあわせて朝に備える。この営みを淡々とこなしてゆく人々の思いを聴きたい気がする。どのようなことばが聞こえてくるだろうか。
2014/2/18 (Tue) 創世記9:13 茅舎
歩道を一目散に走る自転車が迫る。何かとりつかれたような女性の形相である。視線は一点に集中し他は何も見ないというより見えないと言ってよい。危険である。そして、他の女性は花屋さんの店頭で鉢物を見定めている。あちらこちら見ながらどれにしようか考える。店頭一面にある鉢を見渡す。一つを取り購入する。虹を見る拡がりがあれば。
2014/2/11 (Tue) 1コリ12:9茅舎
昼時西の空に暗雲がたれこめていた。周辺にのぞく青の空に対比し暗さがなお色濃く広がる。なおよく見ると、暗雲の下にもう一つの雲が現れていた。この雲は白雲である。雲の下の雲を見ながら思う。苦難の中でのさらなる苦難があり、また苦難の中での憩いがあることを。明日に暗雲が晴れることを願うのみならず、今ここで見る白雲もある。
2014/2/3 (Mon) マタイ1:23茅舎
先週は母親の手を勢いよくひっぱりながら歩く子どもの姿に見とれた。今度は手をつなぎ並行して歩く二人の登場である。互いに早すぎず、遅くならず、言わば歩調がうまい具合にあっている。そのうちどちらかがどんどん前に進み、わが道を行くことにならないと良いが、人生には老夫婦や幼子そして今回の二人の歩きがある。つながっている。
2014/1/28 (Tue) マタイ28:20 茅舎
先週は寄り添い、支えあう老夫婦の姿を取り上げた。今日は母親の手を勢いよくひっぱりながら歩く子どもの姿に見とれる。こちらは行きたいところへかまわず歩きたい。母親はひっぱられるままに進む。支えるというより、子どもを守る手だ。歩くことが楽しくてどんどん進む子どもには将来への勢い、好奇心がみなぎる。守り手に在る勢いだ。
2014/1/22 (Wed) 1コリント12:27 茅舎
向こうから高齢の夫婦が歩いて来る。妻の体調がすぐれていないように顔色からうかがわれる。夫のほうもさほど体力がありそうでもない。互いに支え合いながら、手を組みながら歩いてくる。片方が手放したら一人では歩けない様子だ。互いになくてならない存在として歩いている。その間には割って入ることが出来ない厳粛な雰囲気がある。
2014/1/14 (Tue) イザヤ41:10 茅舎
先日は冬真っ盛りの東北地方を訪問する機会があった。吹雪のように白いものが舞う中を北に向かう。外気は相当寒そうだが車内はそれなりに暖房が効いている。これが働かなくなったら大変なことになる。万全の守りの中にあるからこそ、車窓の景色を楽しむことが出来る。寒い日、暑い日、嵐の日、吹雪の日のような人生に主のお守りある。
2014/1/7 (Tue) 詩篇121:5−8 茅舎
夜空を見上げると綿雲のような雲が静かに浮いている。間から星がちらほら見え隠れする。風も無く、冬空にしてはおだやかな夜景である。街は年の瀬を迎えなにかと忙しく動いている。このおだやかな夜空、雲のおおいを気がつかないまま過ごしているだろう。空を、ましてや夜空を見上げる人はいない。それでも穏やかに地上をつつむ。
2013/12/30 (Mon) ロマ8:28.茅舎
電車が来る。女の子が券売機に駆け寄る。足を踏みながら切符が出るのを待つ。なかなか出てこないので足を上下に動かし、機械をせかす。でも機会はマイ・ペース。結局女の子は電車に間に合う。機械の前で足踏みする光景はあまり見ることはない。焦る気持ち、そして必ず来る電車、結果が良しの体験は何を教えているだろうか。
2013/12/23 (Mon) コロサイ3:16.茅舎
澄んだ空に朝日、夕日がはえる。晩秋の木立により一層の紅を彩り日が変わり行く。見る者のこころの彩りが見えるものを反映し、光景を着飾ることばが生まれる。いのち豊かなこころからは燃えるような風景のことばが生まれる。その風景を見る者のこころの中へと招き入れる。外にある風景がこころのセンターまで訪れる。秋深まる。
2013/12/17 (Tue) ヨハネ12:32 茅舎
けわしき冬が到来する。山々は秋の錦絵を終え、一切を放ち冬ごもりとなる。高山の松林は樹氷が育ち始める。はるかシベリヤから吹き込んでくる寒風に向かい、氷の結晶が育ち、芸術とする。厳しさに向き合い続け、立ち続け重ねられる氷のひだは訪れる人たちの思いを引き寄せる。山上にそびえ立つ樹氷は曇るこころを晴れやかにする。
2013/12/11 (Wed) 第一ヨハネ2:16.茅舎
会堂前の実りは花となり、ぶどうの房となっている。しかし、実りは常にたのしさをもたらすとは限らない。今年はぶどうの房が成熟するごとに黙って摘まれてしまうことが多くあった。収穫する手が育ての手ではなく通りがかりの者の手によるのである。盗んだぶどうの味はどうだろうかと案じる。実りの秋にこころ痛むことがある。
2013/12/3 (Tue) マタイ1:23.茅舎
ニュースで名が報道される。画面に出なければ一生知り得ない人の名である。その名を読む時特別な思いがこみ上げてくる。身を捨てて多くの人たちのいのちを救おうとした。思い出す度にこみあげるものがあるだろう。この作用はなぜか分からない。しかし、何千年もの間思い起こす者たちのこころを動かし、いのちを動かしている方がいる。
2013/11/25 (Mon) 2コリント5:7.茅舎
ある朝、霧が発生し幻想的な風景がひろがった。街の建物が霧でつつまれ自然な雰囲気が生まれた。なにか高地にある別荘地を連想させる風景だ。実際どうかわからないが、空気もおいしそうに感じる。あたりが見えなくなって、このように楽しむことが出来るのは、霧はやがて晴れて普段の生活が始まる安心を持っているからだ。
2013/11/18 (Mon)  
「ある」のではなく「なる」絆と発言されていた。確かにそのような面もあるし、現代は絆が希薄になり、様々な手段で絆を再生しようとしている。これも認めなければならない。しかし、絆はもともと与えられたものであった。それを破ったので、あらためて絆を考えさせられていることを忘れてはならない。イザヤ59:1、2.茅舎
2013/11/12 (Tue) 創世記2:7 茅舎
プラットホームからなにげなく見る線路に敷かれた石に目がとまる。様々な形に大体揃った大きさで敷かれている。電車を支え、乗り心地を良くする基礎だろう。この石を砕き作った人たちの労働を思うとありがたいと感じる。愛の業で私たちを育てる方がいる。感謝の日々。
2013/11/4 (Mon) ヨハネ14:6茅舎
台風の影響で道路は水につかり、視界は豪雨で不良、それでも目的地への道はそこにある。その道を信頼して運転する。過度に焦らず、不安がらず、用心しながら注意深く路上を走る。豪雨のカーテンを開きながら、流れ来る濁流を開きながら、目的地へと向かう。その道をたどれば必ず到着する。たとえ悪天候でも。たどれるいのちにあふれて。
2013/10/27 (Sun) ルカ12:16−21 茅舎
酷暑の夏も過ぎ去り、台風とともに一段と秋らしくなっている。その間には熱中症があり、洪水があり、竜巻、豪雨とめまぐるしいほどの出来事が続いた。今はやや静まりトンボが空を飛ぶ様子が見られる。そして、変わってきていることは夜が足早になっていることだ。
2013/10/20 (Sun) 詩篇51:16、17 茅舎
夜空の星を見上げるとこころが広がる。街を離れ水田ごしに山並みを見るとこころが解放される。青空に漂う雲の流れを追うだけで気が晴れる。見る者が小さく感じる場にいるとき、普段なにげなく見えているものの偉大さや豊かさがこころに迫る。傲慢なこころには見えない風景。
2013/10/13 (Sun) イザヤ49:16 茅舎
普段なにげなく見ている山に固有の名前が付けられていることを知ると、何か親しみを感じる。ただ遠くにある山だけではなく、名を呼べる山になる。名を呼ぶ時何か呼ぶ者のこころに山がそびえるような気持ちになる。名はそこに在ることを言い表すものだから。
2013/10/06 (Sun) ヨハネ1:5 茅舎
今は太陽光発電の灯が様々な場所に使われている。街路灯、道路サイン、時計台、最近歩いて気付いたのがカラフルな光が庭先に灯されている。照明灯ほど強い光ではないが淡く、緑、ピンク、青と色が変わり点滅する。そこにあるのと無いのでは通りの雰囲気が変わる。
2013/10/1 (Tue) ルカ23:49 茅舎
電車旅では様々な情景を見る。第二子を出産予定のご婦人が実家に戻り長男とおばちゃんを見送るために駅に来ていた。いよいよ電車が走り出すころ4歳の長男は手を振るが両目から涙が溢れ出した。おばちゃんは慰めにかかるが涙は止まらない。親子の情愛の不思議を見る。
2013/9/23 (Mon) ピリピ3:12−14 茅舎
土ほこりにまみれて白球を追う姿が炎天下にくりひろげられる。ユニホームも顔も土ほこりだらけである。時間が経過すればするほど汗は流れ、よごれは際立つ。それでいて見る者の目にはすがすがしくうつる。どのように展開しても一心不乱にゴールを目指す姿だけがそこにある。外見を突き破る透明感がただよう。それが見えるのである。
2013/9/20 (Fri) 2ペテロ3:18 茅舎
夏から秋にかけ様々な果物の季節である。会堂前のぶどうの木も房をつけている。通りにあるだけに収穫期まで無事守られてほしい。実は外から何か手を加えられ成長するわけではない。内から育ってゆく。果物だけでなくあらゆる成長は強制ではなく自発性を軸にする。
2013/9/10 (Tue) ヘブライ人への手紙12:2  茅舎
大変な毎日を過ごしている方たちに出会うと励まされる。大変な思いをしている人には言えないことだけれども。大変な中にありながら、それを生きている敬意を表したい。大変な中にこそ輝ける希望のこころ、目線に気付かされる。当人は精一杯なはずだが。
2013/9/3 (Tue) ヨハネ3:8 茅舎
日常生活にはいろいろな風が吹く。病の嵐が吹き荒れる。手のほどこしようが無い暴風となることもある。人間関係の嵐が吹くこともある。これも相手があることで思い通りにならない。時の不安の風もある。つかみどころが無い風である。どのような風でも共通していることは、風を受けている自分の存在が覚醒されることだ。それと御霊が吹く。
2013/8/26 (Mon) ヨハネ15:1−2 茅舎
イエス様は野や山や空に広がる自然を通してご自身の真理を人々に示す。天地万物の創造主として、また地に足を降ろして生活をした方として当然である。ぶどうの木の譬えもその一つとしてなじみがある。私たちの会堂前のぶどうの木が剪定され実る真理を表している。
2013/8/21 (Wed) 詩篇119:89−91 茅舎
また裸のことばを聞く機会に出会った。ここで言う裸のことばは魂からの叫びとも言えるようなことばだ。偏見と決め付けの被害に出会い、自分や弱者が隅に押しやられる非人間的扱いに対する叫びである。体裁や作法を超えた叫びである。ただ、真実のことばである。
2013/8/15 (Thu) ヘブル11:38−40茅舎
トラベル旅はトラブル困難から派生したと聞いたことがある。交通網が未発達で治安も良くなかった時代の旅はトラブルだらけであっただろう。旅が人生に置き換えられ語られることもある。困難が多いからだ。しかし、この旅が確実に天国へのものであったらどうか。
2013/8/8 (Thu) マタイ6:33、34茅舎
郊外を出て地方に行くと空の広さと緑の濃さ、豊かさが目に入る。四季おりおりの気候に沿いながら自然に伸びる緑だ。それほど人の手を煩わさなくても育っていることは不思議だ。大地に根をしっかりおろし、自分のいのちを精一杯生きることで事足りることを知る。
2013/7/29 (Mon) 第一ヨハネ4:10 茅舎
一人娘さんと会話する機会があった。自分のこれからを思い、長年共に過ごして来た親御さんのもとを遠く離れ住もうとしている。親御さんは「分かった」と言ってくれたそうだ。私はそれを聞いて「身を切る思いの分かった」だと伝えた。それほどまで考えなかったと娘さんは言っていた。私たちが思いも寄らないほど愛する方がいるのです。
2013/7/23 (Tue) 1テサロニケ3:11 茅舎
スカイ・ツリーが当地蕨市からも見えることがある。タワーの周辺は大変な賑わいであることも報道されて、さらに熱気がおびている様子だ。時間がたつと報道からは遠のき、それでも多分タワー界隈は賑やかだろう。それも良いが落ち着いた生活を見失うことなかれ。
2013/7/2 (Tue) 詩篇91:15 茅舎
だいぶ前の話となる。寒暖の差が大きく、変化の日が多く感じる今春だった。寒い日は植物がしおれたようにこらえ、その耐え忍ぶ姿に目が惹きつけられる。心配になる。ところが初夏を思わせる陽光を浴びると力がみなぎり、開花がいっせいに始まる。表現し難いこの輝きにも惹きつけられる。
2013/6/23 (Sun) 詩篇91:15茅舎
だいぶ前の話となる。寒暖の差が大きく、変化の日が多く感じる今春だった。寒い日は植物がしおれたようにこらえ、その耐え忍ぶ姿に目が惹きつけられる。心配になる。ところが初夏を思わせる陽光を浴びると力がみなぎり、開花がいっせいに始まる。表現し難いこの輝きにも惹きつけられる。
2013/6/16 (Sun) ロマ5:3−5 茅舎
先に東北訪問の機会があった。サクラ前線が北上し、時期的にはサクラの峠を越えたと思っていた。しかし、訪問してみると花びら一輪落ちていない程満開状況であった。そして、夜半から雪が舞い降り、朝は満開のサクラを被う積雪風景。厳しさの中にまれに見る美である。
2013/6/9 (Sun) 詩篇22:1-5 茅舎
春は強風が襲う季節だ。冬の寒さを北に追いやるかのように、南風が強く吹き上げる。都会では路面の砂ほこりが舞い上がり、田畑がひろがる地域では土ほこりが舞い上がる。それに加えて遠くの国から黄砂なども飛んでくる。地上にあったものが一挙に舞い上がる。今までこころの奥底にひそんでいた思いが、苦難の風で一挙に噴出すことがある。それでよいのだ。
2013/6/2 (Sun) マルコ10:13−16 茅舎
4月に進級した子ども達と共にいのちの豊さ、輝きを感謝した。新しい環境に入って成長をひたすら体験することになる。異なった場に足を踏み入れるのは勇気の必要なことである。多くの人たちの支えと眼差し、そしてイエス様のはかり知れず、尽きない大切な眼差しを皆で覚えることは幸いである。そして、幸いな明日を願い、期待する。
2013/5/26 (Sun) 1コリント6:19−20 芽舎
難病と向き合う説教者がいる。解明出来ない病、治療の手立てが分からない病を背負いながら良い知らせ、福音を宣言し続ける。体調が万全ではないのに無心に仕える。仕えてもらうのが当然な体の調子だ。しかし、背負い、仕え、動く。笑みを絶やさずと言えるぐらい爽やかに他者と関わる。これはどうしてだろうかと問う。御霊の宮とはこのことだろうか。
2013/5/23 (Tur) 詩篇19:1 茅舎
電車が走る。車窓からサクラが見える。街角を歩く。ここでもサクラが見える。ただここで咲いているよ、とささやくように枝をピンクに広げている。雨風、寒暖のときを通り抜けシンプルに清楚に咲いてくれている。天の恵みが注がれるまま生きて、それを自分のために咲き誇るのではなく、見る者のために、それが通りすがりでも咲く。自然の美天然の美、聖の美。
2013/5/14 (Tue) ヨハネ13:35 茅舎
今年のサクラの開花は一瞬に訪れた感がある。開花予報官もとまどったことだろう。地域の祭りの準備もあわただしく行われていた。予定よりおよそ一週間も早い開花である。花が咲きこれほど人々を慌てさせ、心を軽やかにし、外に駆り出す。一斉に咲くサクラの力がここにある。自分勝手に時期を外して咲く花は無い。一つとなり恵みを表す。
2013/5/8 (Wed) マタイ24:35 茅舎
気象予報士による今年のサクラの開花予報は3月下旬ごろであった。しかし、最近の温暖な天気は予想を越えて早めの開花となった。3月中旬の開花は突然おとずれた。咲き始めると誰も止めることが出来ない。今のお花を楽しむばかりだ。サクラの開花予報なら良いが、取り返しのつかない悲劇が予想する間もなく、予想し難い悲惨さで襲ったら大変なことになる。
2013/4/29 (Mon) ロマ8:38−39 茅舎
今年の冬は厳しい天気の繰り返しだった。豪雪に日毎の雪かきは重労働であると東北で牧会する方から聞いた。特にご高齢の方たちには大変厳しいものがあると気遣っておられた。それに加えてホワイト・アウト、吹雪で視野が全く遮られる現象である。生きることを諦めないいのち、それをくださった方がおられることを知って、雪解けを待ち、吹雪が過ぎる季節に立つ。
2013/4/23 (Tue) 詩篇113篇 茅舎
冬の終わり頃の雨は温もりを運んでくる。雨上がりの後は地上から昇る蒸気が春の訪れを感じさせる。空から地中から訪れる春の情景である。ぬくもりと潤いはあらゆる植物にとり、新しいいのちへの力となる。春は新しい出発の季節でもある。新たな出発をする学校、職場、社会にもぬくもりと潤いが必要だ。愛と復活のいのちが無ければ真に新しい出発は絵空事。
2013/4/15 (Mon) 使徒14:22茅舎
先週今世紀最大クラスの寒波が東北地域を襲った。その余波と言っても本格的な寒さが関東に吹き荒れた。晴天ではあったが北風の中数万人が大都会を駆け巡った。おもいおもいの服装で大通りを駆け抜けていった。足をひきずる者もいたが、走りきった人々の顔は嬉々としている。好きなことが出来ることはこういうことなのだと腑に落ちる。たとえ北風でもよいのだ。
2013/4/8 (Mon) ヨハネ3:30茅舎
真冬の陽射しと風の中、鉢植えの観葉植物が青々と繁っている。植物を枯らす寒さの中でみずみずしい緑を添える姿はいのちを感じさせる。繁る葉は興味深い。それぞれの葉には多くの穴、切れ間がある。一枚の葉に10個ほどの穴を自然な姿として身につけている。緑の葉になにも無い空間を描くことで、見る者の興味を引き、目になにか神秘的美を表現してくる。
2013/4/2 (Tue) コロサイ4:6 茅舎
今日は関西方面への移動となった。関東と比較して空気が異なる。地理的なこともあり異なるのは当然だ。店頭での駆け引きも異なる。興味深いので観察すると、関西ではデパートでも割引、おまけの一声がさりげなく語られ、店員さんも扱いには心得たものである。関東ではあまり見かけない空気。会話を楽しみ、コミュニケーションの異なりだ。
2013/3/26 (Tue) イザヤ42:9 茅舎
駅構内に掲示されている展示会のポスターをなんとなく見ていた。最初なんの写真か不明でしばらくながめていた。それでもイメージが定まらずどのような写真かピッタリしない。ところが、再び見てみると写真の像がクッキリと見えた。いったい何が起こったのか。写真が変わったわけではない。周りの状況が変わったわけでない。わたしのこころが変わったのだ。
2013/3/20 (Wed) 1ペテロ3:15 茅舎
散歩道の途中、その日に焼けたパンだけを置いて販売している店がある。夫婦がきりもりする地域のパン屋さんだ。長く陳列していたとしてもせいぜい昨日のパンを特売するぐらいの感じである。店主がパンを美味しく食べる食べ方を熱心に説明してくれる。それも押し付けがましくない。自然体である。パンを愛している方であると感じる。ここなら美味しいとわかる。